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2006年07月06日

人間としての尊厳まで考えた医療

ばあちゃんが亡くなる何日か前から、看護師さんや担当の医師が、
『いつ危険な状態になってもおかしくない』
というようなことを、親やおばちゃんに言っているのを聞いた。


それは私も承知していたつもりだが、
頭でちゃんと理解できていなかった。


日本人は死のことをあまり考えない、と聞く。
宗教を特別に信仰している人が少ないからだ。

私もその一人で、ばあちゃんが死ぬなど、
想像できなかったし、なるべくしたくなかった。

医師も、会ったら言うのは、たいていは病状の説明ばかり。
おばちゃんはガンガン聞くほうなので、詳しく聞いていたかもしれないが。


最期の時が近いぞ、心の準備をしておけよ、
なんてことは、誰も言ってくれないので、自分で準備するしかない。

ばあちゃんが死んだと聞いて、
死ってこんなにあっけないものなのか、と思った。


対病院という目で見ると、その辺の本人の尊厳に関わる『死』というものが、
介護・医療の世界でも軽視されているように感じた。

介護でプロの世話を受けられるのは、ありがたいことだが、
人間として、一番大事な部分である『死をどう迎えるか』ということまで
考えた介護・医療が必要だと思う。



posted by ようちゃん at 22:29 | Comment(2) | TrackBack(0) | 介護の問題
この記事へのコメント
「いつ何時何があっても」と言われていても、心の準備って漠然としか出来ないと思います。

私は母が危篤と言われても、死が現実でなかったです。
母は長い患いでした。最期は母の横で「生きててどんな意味があるのかな」と随分考えました。
でも、病状があんなに悪かったにも係らず母が「今日死ぬ」って実感なかったです。


>頭でちゃんと理解できていなかった

ようちゃん、それでいいのではないですしょうか。
お医者さんは、覚悟決めて置くように言われてるんです。でも、現実的ではなかった。
目の前の死ろ受け入れたくない思い〜〜私はそれが「家族」だと思っています。

父は98歳です。「いつ何時・・・」と言われて久しいですが、私は父は何時までも生きてるような錯覚に捕われます。
Posted by きてぃちゃん at 2006年07月07日 08:57
>きてぃちゃんさん

自分の死、もっと言えば死に方に対しては
きちんと見つめてみようと思えば
できるのかもしれませんが、
家族・身内に対しては、そうもいかないんですね。

うん、無理だわ。医者や看護士が
よほど準備しろと言ったとしても…
って思いました^^;

でもあまりに唐突だったんですよね。
孫という立場が少し悲しいというか…

それにしても、自分に都合の悪いことは聞かない
ようにしてしまっていたんでしょうけどね…
Posted by ようちゃん at 2006年07月10日 23:43
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